トリセツ系男女論の解釈? あてはまらない場合がある!

何故トリセツ系はあてはまらないことがあるか?

トリセツ系の男女論には、男性脳、女性脳の観点から、妥当性が高かったりする記述があります。その一方で、男女の役割分担が異なるため、あてはまらない場合があります。

男性が一家の稼ぎ手となり、女性が家を守るという役割分担の家庭の場合、女性は、一日に会う人が限られるため、聴いてほしいことはたくさん抱えていることがあります。

一方で、昨今のように男女が共に働くようになっていると、共に疲れて、寡黙となり、女性の方が話すことを好むとされる従来のトリセツ系の説明とは異なり、女性も寡黙となり、ふたりで寡黙となることがあります。その寡黙がふたりにとって快いことがあります。

男性がイクメンとなり、女性が外で働けば、男性は一日あったことを、話したい思いでいっぱいでしょう。

例外的な男女が存在するため?

自分自身、年齢を重ねれば重ねるほど男性的になっていくことを感じています。ホルモンの関係といわれます。男性は、高齢になればなるほど、男性ホルモンが減り、女性の方が、男性ホルモンが増えるとされています。

男性的な女性は、女性ホルモンの多い男性といっしょになることが多いような気がしています。このようなバランスを自然と取りながら、相手を決めているのでしょう。その場合、男性脳、女性脳があてはまるかというと、読んでもあまりしっくりいかないということになります。

重要なのはふたりに合ったパートナーシップを育めばよいのであって、トリセツが万能ではないので、男性は○○、女性は○○と決めつけないで、むしろ思い込みを避けるほうがよいかと思っています。

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